以前、拉致被害者家族のジェンキンズさんが、初めて日本にやってきた時、涙につまりながら、“Today is the first day of the last chapter of my life.”と言っていたのに、強い印象を受けた。
まあ、普通の人では体験し得ないような波乱万丈すぎる人生を送ってきた人だからなのかもしれないが、私もああいうふうに、自分の人生を捉えることができるかな?と思った。まるで物語みたいに。
最近、いろんなことが「終わり」に近づいているような気がする。何かあっても、ああ、どうせすぐ終わるし、みたいな気分になる。一時的なものかもしれないが、年を重ねるごとに、終わりに近づいていっているのは確かで、来るべき日に向けて、なるべく悪あがきしないよう、心を乱されないように、と無意識に自分を自制しているからなのか。
でもこういうことって、本当はなるべく気づかずに走り抜ける方がいいんだろうな。以前、土井たか子さんが、30代後半からずっと全速力で走り続けてきたから、更年期障害なんてものにかかった記憶がない、という話をしていて、そんなものか、と思った。ヒマだといろいろ考えてよくないのだろう。目の前のあんなことやこんなことに煩わされて、んーまったくもう!嫁が…とか孫が…とか思いながらコロッと逝くのがいいのかもしれない、という気もする。
第1回大江健三郎賞長嶋有が選ばれた、というのがなんとなく意外で、ちょっとうれしい。大江健三郎賞の選者が大江健三郎本人ただ1人、というのもいいなぁ。しかも賞金なし。みうらじゅん賞を真似たのかな。大江健三郎も自分の人生を物語みたいに考えて、「しめくくりの仕事」みたいなことを考えている人だ。これもその一環なのかな。死ぬ時は「Rejoice!」って言う予定は変わっていないのかな。
まとめると「老い支度」みたいなものをそろそろ考えていった方がいいのか、どうかということか。