静岡で映画撮影中のT氏の陣中見舞いに行く。
彼は今、91歳になる自分のおばあちゃんとおばあちゃんをとりまく人々を撮っている。おばあちゃんは、今も雑貨屋さんで現役で働いていて、朝からお店の掃除、接客、品物を包んだり、と元気に働いている。耳が遠くてお客さんとあまりちゃんと会話が出来ないのだが、静岡の人々は優しいので、何とはなしに会話が成り立っている。
おばあちゃんは元気だと言っても、少しずつ少しずつ老いてきている。それは仕方のないことだ。そして、周りの人々は、そんな中で日々一緒に暮らし、仕事をしながら、ゆっくりと静かにおばあちゃんとのお別れの準備をしているのかもしれない。映画を撮るということは、その気持ちを周りに、そしておばあちゃんに気づかせてしまうことにもなってしまう。それは残酷なことだ。そして、撮ることで、何かが変わってしまうことになるかもしれない。それでもあえて撮る。何かが変ってしまうことも含めて、「撮る」ということで何かを浮かび上がらせたいのだ。その「何か」はわからない。撮りつづけながら、考えるしかないのだ。
夕方、山の方に行って、蛍を見てきた。蛍が飛ぶのを初めて見た。とても幻想的で美しい風景だった。掌を差し出すと、蛍は慣れた感じで掌に乗って光った。
蛍が印象的な使われ方をする映画といえば「遠雷」を思い出す。遠雷 [DVD]石田えりと永島敏行が田舎の小屋かなんかでHしてると、蛍が何匹か飛んできて、石田えりがその一匹を自分の局部に持ってくると、そこでポヤ〜ンと光ってクスっと笑うシーンがあった。なんか妙に情緒的でいいシーンだったなぁ。