たけしの誰でもピカソ」に大江健三郎親子が出ていた。
作曲をずっと続けていた光さんは、ある時から作曲するのをやめた。そのかわり今までにもまして音楽を聴くようになった。そして作曲の先生について、音楽の理論をゆっくり勉強し、昨年、7年ぶりに「70歳になったソナチネ」という曲を作り、誕生日を迎えた父親にプレゼントした。
印象的だったのは、大江さんが「光はある時から作曲することをやめました」と言った時の表情。それはとても大事なことだ、と語っているようだった。
大江さんも、本を読むことに集中して、全く小説を書かない時期が人生に2度ほどあった、と。その自分の経験に重ねて、光さんの「書かない」時期の意味を考えているように思った。
大江さんの著書で『人生の習慣』という本がある。確か、人は困難に直面した時、その人の仕事の習慣に即してその困難を乗り越えていく、ということが書かれてあったと思う。そういう意味で、大江さんも小説家として生きてきた自分の習慣に即して光さんのことを理解し、光さんもまた、自分が今やるべきことがわかっていたのではないか、と思う。
大江さんは、「70歳になったソナチネ」が演奏されるのをホールで聴き、息子に呼ばれて壇上にあがり、観客の拍手を受けた時、「自分が生まれて、この息子と一緒に生きてきた、ということには、なかなか意味があるんじゃないか、と思ったですよ」と言っていた。
その時思い出したのが、40数年前に書かれた『個人的な体験』のこの箇所である。
「もし、おれがいま赤んぼうを救いだすまえに事故死すれば、おれのこれまでの二十七年の生活はすべて無意味になってしまう、と鳥(バード)は考えた。かつてあじわったことのない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた。」
障害をもって生れてきた我が子が「手術を受けなければ死んでしまう」と宣告され、グダグダ悩んでいた主人公・鳥は、ある瞬間、突然「息子の死」=「自分の生の無意味」とととらえ、「深甚な恐怖」を感じた。大江さんは、ひょっとしたら、ずっと、この「深甚な恐怖」の意味を40数年かけて考えてきたのではないか、と思った。
ビートたけしは、自分の著書やラジオで、時々大江健三郎の本の面白さを紹介していたので、何か言うかな、と思っていたが、恥ずかしかったのか、そのことについてはほとんど触れなかった。私など、ビートたけしの影響で大江健三郎を読み始めたというのに。でもこの二人が同じ場に立っている、ということに、ちょっとめまいがするほど嬉しかった。