生まれて初めて「文芸春秋」を買った。村上春樹の「ある編集者の生と死」を読むために。
なんというか、一種のピカレスクロマンを読んでいるような気になった。ここまでひどいことをして、それが死後明らかになってしまうというのは、なんとも救いようがない。生きていれば、「盗品売買」で逮捕されようと、出所後、文壇から追放されて、ゴールデン街のスナックの雇われマスターかなんかになって、頭かきつつ、「いやぁ、まぁ、昔いろいろあってさ」と苦笑いできるじゃないか。それで、ほとぼりが冷めた頃、ちょっと言い訳がましい本でも書けるじゃないか。死んじゃったら、永遠に「ダメな人」だ。もっと明らかな犯罪者だったら擁護する人も出てきそうだが、この人(安原顕)のやってることは、あまりにもなさけなさすぎる。よくつらい時に「死んだ方がマシ」と思うことがあるが、そうでもない。生きてた方が幾分マシだ。
ま、これは「あの世」を信じてる者だから言えることかもしれない。死んだ後のことなんて知ったことか、と思えばそれまでだからなー。安原顕もそういう人だったのだろう。多分。
文芸春秋」は、おじいちゃんちのトイレに必ず置いてあり、田舎に帰ると、トイレで読みふけっていた。「同級生交歓」というコーナーが好きだった。「財団法人○○名誉会長」とか「○○大学名誉教授」とかお医者さん(院長)とか政治家(全員おじいさん)が並んでニッカリ笑っている。皆、旧制高校などの同級生で、一様にある程度の名声を得て、そして生き延びてきた人たちだ。このコーナーにステイタスがあるのかどうか知らないが(多分あるのだろう)「どうだ!!」といわんばかりの勝ち誇った笑顔だ。それと似たようなので「うちのヨメ讃」とかいうのも、どこかの雑誌にあった。あれもなんか気になる。

たけしの誰でもピカソ」に大江健三郎親子が出ていた。
作曲をずっと続けていた光さんは、ある時から作曲するのをやめた。そのかわり今までにもまして音楽を聴くようになった。そして作曲の先生について、音楽の理論をゆっくり勉強し、昨年、7年ぶりに「70歳になったソナチネ」という曲を作り、誕生日を迎えた父親にプレゼントした。
印象的だったのは、大江さんが「光はある時から作曲することをやめました」と言った時の表情。それはとても大事なことだ、と語っているようだった。
大江さんも、本を読むことに集中して、全く小説を書かない時期が人生に2度ほどあった、と。その自分の経験に重ねて、光さんの「書かない」時期の意味を考えているように思った。
大江さんの著書で『人生の習慣』という本がある。確か、人は困難に直面した時、その人の仕事の習慣に即してその困難を乗り越えていく、ということが書かれてあったと思う。そういう意味で、大江さんも小説家として生きてきた自分の習慣に即して光さんのことを理解し、光さんもまた、自分が今やるべきことがわかっていたのではないか、と思う。
大江さんは、「70歳になったソナチネ」が演奏されるのをホールで聴き、息子に呼ばれて壇上にあがり、観客の拍手を受けた時、「自分が生まれて、この息子と一緒に生きてきた、ということには、なかなか意味があるんじゃないか、と思ったですよ」と言っていた。
その時思い出したのが、40数年前に書かれた『個人的な体験』のこの箇所である。
「もし、おれがいま赤んぼうを救いだすまえに事故死すれば、おれのこれまでの二十七年の生活はすべて無意味になってしまう、と鳥(バード)は考えた。かつてあじわったことのない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた。」
障害をもって生れてきた我が子が「手術を受けなければ死んでしまう」と宣告され、グダグダ悩んでいた主人公・鳥は、ある瞬間、突然「息子の死」=「自分の生の無意味」とととらえ、「深甚な恐怖」を感じた。大江さんは、ひょっとしたら、ずっと、この「深甚な恐怖」の意味を40数年かけて考えてきたのではないか、と思った。
ビートたけしは、自分の著書やラジオで、時々大江健三郎の本の面白さを紹介していたので、何か言うかな、と思っていたが、恥ずかしかったのか、そのことについてはほとんど触れなかった。私など、ビートたけしの影響で大江健三郎を読み始めたというのに。でもこの二人が同じ場に立っている、ということに、ちょっとめまいがするほど嬉しかった。

クリスマスが近くなると思い出す。
あれは、3,4年前だったろうか。私は、実家近くのカトリック教会に両親とともにミサに行った。
ミサが終わったのは、夜10時近く。父は、教会の片づけがあるから、お前達先に帰れ、と言われ、母と私はタクシーで帰ろうとした。
その時、同じミサに出ていた盲目のWさんというおじいさんが、一緒に帰りましょう、と言ってきた。Wさんは同じく盲目の奥さんと夫婦喧嘩をしていて、奥さんは家にいるらしかった。
タクシーの中で、Wさんは、今日はせっかくクリスマスなんだから、どこかレストランでワイン飲みましょうよ、と言った。
Wさんは、私たちを行きつけの店に案内する、と言って、ファミレスの「ジョナサン」に連れて行った。私たちは困惑しつつ、断れずに、一緒にジョナサンに入った。
ジョナサンで、ワインとパスタとポテトフライかなんかを頼んだ。
ワインは軽い赤で、ハーフボトル。Wさんはグビグビ飲んだ。私たちも、ちょっとだけ飲んだ。
さぁー、もっとやってください、と言いつつ、Wさんは何本もワインをお代わりした。
私と母は顔を見合わせて、どうしようか、と思ったが、頃合を見て、そろそろ帰りましょう、と言った。Wさんは、奥さんに対するグチを言い始めた。私たちは黙って聞いていた。
Wさんは盲目である上に、事故で両手の指を全部無くしていて、ワイングラスも両手のひらで抱えるようにして飲んでいた。目もその時の事故で見えなくなったらしい。奥さんは確か指圧師だった。
だいぶ酔っ払ったWさんを抱えるようにして、私と母はタクシーを呼び、帰った。
ファミレスのワインをグビグビ飲むWさんの顔が目に焼き付いている。
その後、Wさんは奥さんと離婚し、一人で老人ホームに入った。が、その老人ホームも飛び出し、今はどこにいるかわからないらしい。

落ち込んだ時、やさぐれた気分の時、手にするのは決まってこの数冊の本だ。
・『忘れられた日本人』宮本常一忘れられた日本人 (岩波文庫)
土佐源氏」土佐の盲目の乞食の艶話。誰か、例えば新国劇島田正吾さんあたりが、一人芝居で演じてくれたら面白いのに、と思っていたら、亡くなってしまった。
・『貧困旅行記つげ義春
伊豆松崎町の「山光荘」。卒倒しそうなほど美しい女主人、というのを見に、新婚旅行にこの宿を選んでしまった。本当にひっくり返りそうなほど美しいおばあさんだった。
・『君について行こう』向井万起男君について行こう(上) (講談社+α文庫)
奥さんのチアキちゃんだけでなく、チアキちゃんの両親、兄弟、宇宙飛行士仲間、その家族、そして歌舞伎町であやしいチラシを配るオアニイサンにも優しい眼差しが向けられている本。
・『高野聖泉鏡花高野聖 (角川文庫)
「出家のいふことでも、教だの、戒だの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かつしやい、と言つて語り出した。」この一行を読むだけで気持ちが晴れ晴れしてくる。

ここのところ、この数冊をくり返しくり返し読んでいる。読んでいると、不思議と元気になってくるのだ。何故だろう、とずっと思っていたのだが、皆、人に向ける視線がとても優しいのだ。こんな風に人を表現してくれる人に出会いたい。そして自分もこんな風に人を見れるようになりたいと思っている。

どろぼう がっこう (かこさとし おはなしのほん( 4))小さい頃読んだ本の中で一番印象に残っている絵本。「どろぼうがっこう」というシチュエーションがまずおかしいし、「くまさかせんせい」も「かわいいせいとたち」も顔がめちゃくちゃ怖い。
「あしたはえんそくです」「わーい」「せんせい、おかしもっていってもいいですか」「ばかもん!どろぼうがっこうのえんそくにおかしをもっていくやつがあるか」等々。小さい頃、「せいとたち」の顔にビビりつつ、何度も何度も読んだ。
大きな本屋に行くたびに、ないかないかと探していたのだが、見つからず、取り寄せてでも…と思っていた矢先、なんと、うちから一番近いヨーカドーの本屋のスペースであっけなく見つかった。
とりあえず、生まれる予定のない我が子のために、一冊。

本カノになる!「意識させて、誘わせて、告白させる」恋愛の裏ワザ昔、韓国人の友人(女性)が、日本の女はなぜあんなに男性に下手に出るのか、もっと堂々と自分の意見を主張すればいいじゃないか、と言っていたことがあるが、アッシーくん、メッシーくんなど言い放っていたバブル時代から現代まで、裏を返せば、跪き、傅き、男の言いなりになってる女ばかりなのである。奥村チヨの歌の歌詞みたいに、思考停止して奴隷になってるのが、ホントは嬉しいんである。だって、いろいろ考えなくてすむから。
タイトルが泣かせるじゃねえか。

irori-ko2005-10-17

空中庭園」とてもいい映画だった。衝撃的なラストが、とても怖く、そしてとても暖かく感じた。あんな感覚は初めてだ。キョンキョンは私の生涯見た映画の中の主演女優賞とったかも。クスリやってたとしても、豊田利晃監督は、すごい。感動した!
最後の最後の台詞がとてもいい。涙出た。
夜、日テレでやってた「新人ホステス奮戦記」。みいなちゃんだったかまりんちゃんだったか忘れたけど、休日のバイトというのが、お得意様のヨットクルーズのお付き合い、盛り上げ役として行く、というのがすごい。しかし、そのお得意様、顔にモザイクかかってたが、ありゃ、真樹日sao先生じゃないか〜?素肌に黒の革ベストと金のネックレス。「夜のネオンで日焼けしてる奴らに、今日は気分転換だよ、ガハハ」って台詞とか。でも、お金あげて、気分転換させて、なんていい人なんだろう。でも、ただじゃ、帰してくれないんだろうな。それも含めてのバイト、ってことなんだろうか。